渡辺直美さんを占う、ナオミの夢。
渡辺 直美さんが3月いっぱいで日本の仕事を卒業し、アメリカへ移住するそうです。
かねてから直美さんならアメリカで活躍できそう!!と期待していましたが、こんなにスパッと振り切り、アメリカを本拠地にするとはあっぱれです。
渡辺 直美さんの魅力は、なんといってもエネルギッシュなところ。明るく華があるという言い方もできるかもしれませんが、とにかく強力なエネルギーを感じます。
また、スーパーポジティブなキャラは中国人母の遺伝子から?日本人はポジティブ遺伝子持つ割合がかなり低いそう。
直美さんは1987年10月23日生まれ。底知れぬパワーを感じるので、さそり座とばかり思っていましたが、占ってみるとてんびん座!!もしも朝6時ころ以前の生まれなら月もてんびん座です!!
社交性と華やかさ、センスの良さから月もてんびん座かも??
0時生まれでASCがしし座だとすると、木星9室で海外運が最高。。ただ、ほとんどの星が底に沈むので違うか。。体形からするとASCかに座?木星1室で牡羊座?
何となくさそり座っぽいと思ってましたが、水星、金星、冥王星の3つがさそり座で合でステリウムでした。もし月がさそり座なら、4つが合でさらに強力。
見た目派手なのにチャラい感じではなく、妖しさや重みも感じる(体重ではなく存在感ね)ので、月さそり座か?う~ん。。
現在みずがめ座木星とてんびん座太陽が幸運のアスペクトをとるので、今年は追い風あり。
近未来も風の時代といわれたりするので、、時期的には恵まれているかも。
四柱推命でみると、来年から空亡(大殺界・天中殺)のため、年齢を考慮するとどうしても挑戦したいなら今しかないという感じ。欲を言えば、去年の方がよかったかもしれないけど、コロナで今より先が見えない状況だったからしょうがない。
宿曜では底宿。今年吉、来年もっと良し。
曜日は金曜日生まれ。センス良し、人気運あり。
カバラでは4の生まれ、合理的で現実的、頭脳派。
33歳の現在は9年間の始まりの年。
占いも参考にして決めたかのように、よい時期の移住だと思います。
もしも直感で決めたのなら冴えてる!!
年内に何かしら足がかりがつかめるのでは?という運気です。
レギュラー番組卒業したけど吉本興業ともつながりつつというのは、てんびん座的調整力を発揮している感じ(中田敦彦さんもてんびん座でしたが)。。
そういえば世界の渡辺謙さんもてんびん座で、日本の事務所とアメリカのエージェントと上手く行き来している感じあります。
直美さんの野望はコメディ映画の主演だそうです。
映画にこだわるなら英語力が不安ですが、とにかく存在感が圧倒的なので、直美主演のシットコムが見たいです!
天王星と幸運角なので新しいジャンル、斬新さ、スピードなどが幸運を呼ぶでしょう。
占いとの出会い。
私の初めての占い本は、学研 ユアコース ジュニア 愛の星占いでした。
懐かしい!検索したらメルカリで販売している方がいらっしゃいました!
水森 亜土さんのイラストの表紙で、各星座の特徴やバイオリズムが書かれていました。
その後、母の持っている今年の占い的な本、友人から借りたマイバースデーなどを読み、勢いでタロットカードまで購入し何度か占ってみたものの、占い好きの友人と疎遠になるとすっかり熱も冷めたのでした。
その後80年代の終わりから90年代にかけて、レーガン大統領のイベント日程を決めていたといわれるジョーン・キグリーの占い本、糸川英夫博士の西洋占星術、一次ブームだった細木数子の六星占術、諸葛孔明の三元四柱推命、四柱推命等を読破し、どんどん占いに嵌まっていきました。
私の運勢はどの占いでもパッとしない結果で、それがまた当たってる!と自分の不幸が証明されたようなネガティブな感動を覚えていました。。
90年代頃には、エルフィンという本格的占術が掲載された素晴らしい雑誌があり、そこから派生したエルフィンブックスでルル・ラブア先生や松村 潔先生の西洋占星術の良書が生まれています。
その後結婚後は忙しく、占いから興味が離れたため、雑誌エルフィンは処分してしまい激しく後悔しています。
そしてアラフィフの今頃になり、占い熱が再燃。
今どきはホロスコープが無料作成できる!3重円とかPOFまででてくる!紫微斗数、四柱推命も無料で星がでてくる!
本当に便利になりました。
しかし!エルフィンブックスの星座運行表に馴染んでいた私には、一日ごとに日にちを設定しホロスコープ作成するのが少し億劫。
最近はホロスコープに矢印がつき、一か月でこの分動きます的な表示スタイルばかりで、細かく度数を知りたい私はイライラしちゃいます。
石井ゆかり先生の手帳とかぐるぐる占星天文暦とかがこのスタイル。
昔スタイルの星座運行表、できれば安価なものないでしょうか?
アラフィフの発達障害、投薬開始。
初診より1か月後に受診し、アトモキセチンの投薬治療開始。
投薬期間の予定は概ね2~3年、よくなっているか検査するとのこと。
ネット情報ではコンサータより副作用少ないが、それなりに副作用ありとのことでしたが、医師には量が少ないから大丈夫と説明されました。
処方されたのは後発品アトモキセチン35mg(1日量)で通常子供に投与する量でした。
医師は前回ノリノリで投薬を勧めてきたのに、今回は「50歳か、少し遅かったね」と発言。
しかし、私の人生では今のタイミングでしか治療がありえなかったので、やむを得ないよねと心の中でつぶやきました。
通常枠で就職していて他人に知られたくないため、障害者申請はせず、薬はジェネリックを選択しました。
副作用はのどが詰まった感じ(吐き気というべきか)で1,2日具合が悪かったのと、鳥肌が立つときのざわっとする感じが何度かありましたが、そのうちなくなりました。
効果は、夫によると感情の起伏が少なくなり穏やかになったような気がするとのこと。
私本人は、少し落ち着きと集中力が増した気がしますが、やはり凡ミスやうっかりはあります。それでも新しい職場では、天然だねと言われなくなりました。
久しぶりに小説を読んだり、連続ドラマを視聴しているのは投薬効果かな。
その後、調整していき、最終的に1日50mgを服薬(標準容量は80mg)。
以前より気持ちが落ち着いて、落ち込みが少なくなった感じはあるものの、気のせいかもというレベルで効果はいま一つ。
間違いも物忘れも判断ミスもまだまだあり、根気なし、先送り癖は相変わらず。
でも物忘れについては健常者でも忘れることが多い世代、すべて発達障害のせいなのかは謎。
増量を希望したいものの、増量後は2~4週おきに受診が必要とのことで同量で様子見。
その後、コロナで電話受診になり、増量が望めずさらに様子見。
薬の費用対効果を考えると、コスパは悪いが、お守り的なものになっている感じ。
早々に見切りをつけて、サプリや自然療法などに切り替えようか迷ってしまう。
主病名がASDであることを考慮すると、治癒はしないのだろうな。
大人の発達障害を知る。
発達障害が、子供の多動や片付けられない汚部屋の主だけのものではないと知ったのは2013年頃のこと。
おそらく私の検索履歴から、製薬会社の発達障害CM(アニメ)が協力におすすめされ、あまりのしつこいので見てみたら私のこと?と思い当たる節があったため、発達障害についての本を購読しました。
本に紹介されている例は極端に感じられたものの、様々な事例が掲載される中、”会話のキャッチボールが下手”とか””先延ばし癖”、””頭の中で考えていることをうまく表現できない”というあたりが突き刺さりました。
そもそも投薬治療というのに抵抗を感じましたが、それでも治療の対象なのだと知り、唯一の友人に、私は発達障害かもしれない、精神病院に勤務している彼女の友人に、発達障害の診断や治療をしているか聞いてほしいと相談したところ、一笑に付されてしまい終了。
彼女は、そういうのは個性だからと言いましたが、精神病とか障害という言葉に抵抗を感じている様子が伺え、それ以来この話題はだせなくなりました。
10代から20代にかけて、9年の引きこもり期間がある自分はどこかおかしいのだろうとずっと思っていました。
しかし、身体的症状(不眠、摂食障害、幻聴など)はないので、うつや統合失調症やパニック症候群などではないと、自己判断してきました。
発達障害かも疑惑が深まるものの、会社を休んでわざわざ都会の病院(地方には診断できる医者はいないだろうと予想)を受診するまでの勢いがでず、この話はいったん終了することになりました。
大人の発達障害 50代で診断。
発達障害を知り5年程経ったころ、ひょんなことからある女性のブログを目にしました。
その女性は30~40代で、職場の上司にすすめられ病院へ行き、発達障害の診断を受けたとのこと。
私の目を引いたのは、それが東京や大阪の病院ではなく、地方の病院だったこと。
私の居住地から交通の便が良く、また当時退職予定だったため、時間も捻出できそうでした。
病院は遠方のため、治療までは考えておらず、とりあえず診断のみ受ける気持ちで受診しました。自分では、グレーゾーンの診断かなと予想して。
長時間(2時間弱)の知能検査後に医師の診察。
”幼少時のころ忘れ物多かったりしませんでした?””授業中先生の話を聞かずポーっとしてませんでした?”の問いには「いいえ」と答え、その後一通り質問に答えた後、私の一番の問題点は友人がいないことと医師に打ち明けました。
医師は「人の話が聞けないからコミュニケーションがうまくいかない」と断定。う~んそうかな?と懐疑的な気持ちをもちつつも、担当医の「薬飲むと人の話をちゃんと聞けるようになるよ。コミュニケーションがとれるようになるから友達も出来る」との話に治療の魅力を感じました。
カルテにはADHD、広範性発達障害、社会不安症、醜悪恐怖、他たくさんの病名を書き込まれました。
エピソードは10代の頃のことも含むので、それを50代の今、病名を付けられることに少し違和感があったものの、決してグレーではなかったということが衝撃でした。
自分の中で治療はしない前提だったので、”薬出しますか?”という予想外の問いにその場で即答できず。会計待ちの間「投薬治療します」と言えなかったことを後悔したものの、その日は帰路についた。そもそも先延ばしする病気だし。。
それまでずっと、精神系の薬は怖いという印象しかありませんでしたが、発達障害の薬は、私が若かったころに何度も考えた”他人の頭の中を体験してみたい”との思いに応え得るものかもしれないという期待感から投薬治療を決心して、1か月後の受診予約をとりました。